ノンフィクション作家・門田隆将さんの著書
『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発』
を原作に佐藤浩市さん、渡辺謙さん主演で実写映画化された映画【Fukushima 50】。
90人以上への独自取材を行い、当時現場にいた人間しか知り得ない数々の緊迫したエピソードが綴られている原作を、
主演のお二人を始めとする豪華俳優陣が演じ、また完璧なまでに再現されたセットや自衛隊、アメリカ軍の協力を得て細部までこだわって撮影されたリアリティ溢れる作品です。
そんな作品に付けられたこの“フクシマフィフティ”とはどのような意味の言葉なのか、その意味や由来、また海外での反応などについて調べてみました。
映画【Fukushima50】フクシマのロケ地や撮影現場はどこ?長野や横田基地など
映画【Fukushima 50】フクシマフィフティとは?
『#Fukushima50』(#フクシマフィフティ)全国公開中です。福島第一原発内に残り戦い続けた作業員たち。原発内では一体何が起きていたのか?”Fukushima 50”と呼ばれた人々の壮絶な戦いを描きます。
※上映劇場によって、営業時間、チケット購入方法に変更が出ておりますので予めご確認をお願いします。 pic.twitter.com/xM2ZAIJCVe
— 映画『Fukushima 50』(フクシマフィフティ) (@Fukushima50JP) March 7, 2020
2011年3月11日に日本を襲った死者・行方不明者1万5000人以上という未曾有の大災害、東日本大震災。
その地震発生時に起きた巨大津波により発生した“福島第一原発事故”を題材にしたこの作品はあの日、あの場所で一体何が起きていたのか、
私達の知らない場所で命を賭けて戦っていた人達とそんな彼らを想う家族の愛を描いた作品です。
監督は映画『沈まぬ太陽』で日本アカデミー賞優秀監督賞を受賞した若松節朗さん。
脚本家も同じく『沈まぬ太陽』のこちらはテレビドラマ版の脚本を担当していた前川洋一さんが務めています。
Fukushima 50(フクシマフィフティ)の意味や由来は?
映画『#Fukushima50』
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⚠ついに本日公開⚠
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄#フクシマフィフティ pic.twitter.com/dylnzPKQXZ— 映画『Fukushima 50』(フクシマフィフティ) (@Fukushima50JP) March 5, 2020
3月11日15時30分、地震からわずか45分後未だ混乱の最中にあったであろう福島第一原発15メートルにも及ぶ巨大津波が襲いました。
この巨大津波によって起きた停電が原因で原子力の冷却装置が作動しなくなり、このままでは原子炉の外に核燃料が漏れ出て大規模な放射能汚染が起こりさらに多くの犠牲が出てしまう危険が迫っていました。
原子炉1号機の水素爆発などいくつもの原子炉爆発も発生。
地震から4日後の3月15日にはついに原子炉4号機の爆発と火災により放射線物質が飛散した可能性を受け、東京電力から約800人のスタッフ全員に避難指示が出されました。
しかし、避難指示が出された後も最後まで諦めることなく被害を最小限に食い止めようと戦い続けた吉田所長を筆頭とした約50人のスタッフ達。
そんな勇気ある彼らに敬意を評して海外メディアが名付けたのがタイトルにもなっている“Fukushima 50”という名前なのだそうです。
停電となり、予備電源も使えなくなった最悪の事態の中、手動でベントと呼ばれる放射性物質を含む気体の一部を外部に排出させて圧力を下げる緊急措置を行うことを決断し、命を懸けてこの任務にあたった彼らの姿を描いています。
映画【Fukushima 50】フクシマの名言スタンプがおもしろい?セリフ内容は?
海外メディアの反応は?
タイトルを【Fukushima 50】と英語表記にし、『世界に向けて発信したい』とワールドプレミアで渡辺謙さんが語っていた言葉通り
現在までに73の国と地域での配給が決定しているこの【Fukushima 50】。海外での反応はどうなのでしょうか?
調べてみましたがまだ予告編が解禁されているだけで本編の公開には至っていないのか海外での反応についての情報がありませんでした。
ただ、テレビのインタビューで主演のお二人が『賛否両論あっていい』とおっしゃっていただけあって日本国内でもかなり既に賛否両論ある作品となっているので、
海外でも色々な意見が出るのではないかと思います。“賛否”どちらでもいい、とにかくこの事故を忘れずに、風化させることなく少しでも多くの人々の心に届いて欲しい、と言う強い気持ちを感じる作品です。
震災から9年経った今もまだ復興作業の続く被災地で、大変な想いをされている方々が沢山いる中で私達被災地以外の人間にできることはこうしてあの震災で起きて様々な出来事を風化させず、
“忘れない”ということが大切なのかもしれませんね。